2014年3月2日日曜日

奈良の旅人エッセイ-30-

それは突然視界に飛び込んできた。 
小雨から急に横殴りになった雨脚に、慌てて雨宿りの場所をさがしていた私たちを満開の桜の大木が誘っていた。
雨に打たれた満開の桜ははらはらと花びらを落として花吹雪となり、絵のようなあまりのみごとさにみんなで一瞬見とれていた。
桜をもっと近くで見たい思いで門を入り石畳の小道を伝って行くと、突き当りには立派な石灯篭と古ぼけたお堂があった。
そこだけ時間が止まっているような、なんとも不思議な場所。
ちょうどお堂に雨宿りできる深い軒があったので、小雨になるまで待とうと言うことになった。
あらためて見渡してみると廃墟というのがピッタリなほど静かな中庭で、私たちを除けば桜の大木が妖しいまでに花をつけ存在を主張しているだけだった。
お堂近くの小ぶりの桜の枝も強い風であおられるたびにはらはらと花びらを落とし、それを雨が石畳に強く打ちつけて行く。
そんな様子をボーッと見ていると日常のわずらわしさから解き放たれた自分がいて、気持ちが落ち着いてくるのがわかった。
するとしばらくして、カメラを本格的に習っていて一眼レフを持参していた彼女があたりの景色に触発されたのだろうか、雨傘から入る横殴りの雨をものともせずシャッターを押し始めた。
あとから知ったことだが場所は奈良町の元興寺の塔跡で知る人ぞ知る桜の名所だった。
そして、その日その時間の奈良には一時的に台風なみの低気圧が通過中だったそうだ。
奈良に住み何度も奈良町には足を運んでいるが、雨と満開の桜がなかったらこの場所はずっと知らなかっただろう。
この日は「奈良町に行きたい」という大阪からの若い友人たちを案内していた。
朝からあいにくの雨ふりでほんとうなら憂うつな気分のはずだが何故だか少し違っていた。 
雨が心地良くて、とても満たされた感じがしていたのだ。
塔跡にたどり着く前には格子の家に立ち寄って奈良の古民家を堪能してもらったが、中庭の苔むした石が雨に濡れていい風情を出していた。当然カメラの彼女はシャッターを押しまくっていた。
奈良町に着く前には奈良きたまちでおいしいお昼をいただき、カメラの彼女は隣のうつわ屋さんのノスタルジックな色ガラスに見とれてカメラに収めていた。
そしてお店の人から桜は満開と教えてもらって、きたまちの桜群を雨の中で満喫した。
きたまちに行く前には、県庁の屋上に上がって奈良の眺望を楽しんでもらったが、雨に煙る山々と桜と緑の奈良公園は日本画を見ているようで素晴らしい眺めだった。
もちろん晴れた日の奈良に越したことはないが、「奈良は雨でも心地良い場所が一杯ある」とそんな確信を持てた一日だった。

奈良県在住 K.A.様 60代 女性