2014年2月9日日曜日

奈良の旅人エッセイ-9-

「そうだ京都に行こう」。思い立って旅したついでに寄った平等院に魅せられました。三年前のことでした。左右対称の木造建築物の造形美が圧巻でした。化粧が施された昔だったらどうだったろう、の思いにふけりました。「見たことがある」から「たびたび来たい」に気持ちが変わりました。ついでの奈良が 本命に切り替わった瞬間でした。
そして今年の遅い秋です。「奈良の晩秋を味わおう」の母のひと言で決まりました。日程を合わせた親子三人、 しかしそれぞれの瞳の先にある奈良は違っていました。父は巨木、母は紅葉にご執心でした。私は自身の成長を確認する旅、でした。平等院で体験した感覚を随所で再現したい思いがありました。それはサスペンスドラマや少し前の映画の「黄色いハンカチ」の最終場面の、あのドキドキしながら緊張の一瞬に近づいていく感覚に似ていました。
猿沢の池の柳が少ないのには驚きました。植え替えてもすぐに枯れてしまっているのだそうです。印象に残っていた、柳越しに見る興福寺の五重塔の再現は残念ながらできませんでした。それでもスカイツリーを支える強い構造の見本になっている五重塔。昔の人の技術と知恵に感心しながら眺める塔は一段と誇らしげでした。
法隆寺の印象は随分違いました。聖徳太子鎮魂の寺と、いくつもの根拠をあげて主張する梅原猛先生の著書を読んでいたからです。鮮やかな朱色がそのために妖しく迫ってくる感覚を味わいました。「塔の上なるひとひらの雲」の一節だけ覚えている薬師寺は 修復工事中でした。周囲を含め広い寺の敷地に妙に感心しました。さすがに大きかったのが東大寺の大仏殿で、屋根の上の一対の金色がとても印象に残りました。最初の旅では大仏の大きな手、その次が埃という印象の順でしたから大きな違いようです。残り紅葉の浮見堂に感激しました。池面に映る紅葉を撮影し「イ ケメンの紅葉」とタイトルをつけて友人に送ると、「いいね!」と返ってきました。「イケメン」とは「池面」のことですので、念のため。
最終日は「ならまち」でした。都会では見かけなくなった青空商店街で、しかも清潔でした。「なりは悪いですが家でとれたものです。自由にお召し上がりください」と書かれた籠が、ある家の前に置かれていました。籠には熟れた柿が入っていました。改めてここは奈良、すぐに「柿喰えば」の句を思い出しました。住まう方の心根にじんと心温まるのでした。

神奈川県在住 K.M.様 30代 女性