2014年2月23日日曜日

奈良の旅人エッセイ-23-「光と闇と」

「光と闇と」

奈良に住んで 一年と9ヶ月。まだほとんど観光客気分の抜けないままの生活が続いている。それまでの東京暮らしとは 全部違う訳ではないのだけど やっぱりここは関西、そして古都。世界遺産の街で暮らすという贅沢を味わっている。
ガイドブックでは 「京都・奈良」と一緒に紹介されることが多いけど、来てみたら 「全然、違うなぁ~」と認識を改めさせられてしまった。

奈良は不便です。
新幹線は止まらないし もちろん空港も無い。同じ古都でも 京都とはその入り口からして違う。わざわざ「奈良へ行く」という意思がなければ 来られない。
そして そのちょっと不便というのが とてもいいのだと思っている。

私は JRで奈良へ帰って来るのが好き。特に大阪から帰って来る時の 奈良への近づき方が好きだ。 ある駅を過ぎるとパタッと人が少なくなり 夜だと どんどん闇が深くなる。
昼間なら 空が高く広くなって呼吸が楽になる感じがする。そう、奈良は田舎なのだ。
JR奈良駅に降りるのと 近鉄奈良駅から一歩踏み出すのとは 感想が全く違った。
やっぱり地上の駅から一歩を印すのが いいと思う。

朝。目が覚めるような まだまどろみが続くような朝。
そんな時 遠くから聞こえてくる鐘の音。
そんなに大きな音ではないので 聞き逃すことがほとんどだ。
あ、興福寺の鐘だなぁ、6時になったんだなぁ、と思いながら ゆっくりと数を数える。
でも、いくつ撞いているのか 全部を聞いたことはないと思う。また眠ってしまうか、思い切って起きてしまうか 何か考え事をしてしまって気が付いたときは終わっている。
興福寺の鐘で目が覚めるなんて なんて贅沢なんだろうか。

最初の一年間は 夢中であちらこちらと出かけ 国宝級の仏様を拝観した。いつか自分の好きな仏像に出会えるだろう。。。と思ったのだけど 今のところは まだ会えない。
それでも心に残ったいくつかの仏像はあり 何度も通ううちに自分との「相性」が分かってくるような気がしている。お寺も仏様も そして鹿も いい。

もし私が旅行代理店の係りだったら 絶対のお薦めはこれ。
「奈良には 宿泊したほうがいい。」これですね。
なぜならば 奈良の一番いい時間は 朝と夜だから。
ほとんどの人は奈良に泊まらない。午前中に来て 大急ぎで観光し 夕方にはもう奈良を去ってしまう。ほんとうにもったいないと思う。
朝のお掃除したての奈良公園を歩いてみて欲しいと思う。
春日大社の参道を独り占めして本殿まで歩いてみて欲しいと思う。
あの清々しさは 普段の生活ではなかなか味わえない。
何も考えず空っぽのこころにして歩いてみよう。
起き出した鹿も 歓迎してくれるはず。

そして夜。 奈良の夜は思ったより暗く 闇が深い。でも怖くはない。
東大寺の上院、一番奥で鎮まっている二月堂の舞台へと歩いてみて欲しいと思う。
途中、猫段を上って 鐘楼には8時に着くようにしよう。
一日に一度だけ撞かれる古の鐘の音に耳を傾けてみよう。
数百年の時空を超えて響いてくる鐘の音は 何度聞いてもいいものだ。

最後の余韻を味わったら二月堂の舞台へ向かってみよう。
いや、逆でもいい、舞台からの石段を下りてきて鐘を撞き始めるころ鐘楼に着くのもいいと思う。
何といっても 東大寺は一部の拝観場所を除いて 一晩中開いているのだから。

今の私の夢は 夏の一晩を二月堂の舞台で過ごしてみること。
夕焼けが終わり やがて満天の星空か 三日月の頃 奈良の街が漆黒の闇に鎮まってゆくのを見ながら 一晩を過ごす。 きっとうたた寝もするだろう。
朝のお勤めのお経で目が覚めるかもしれない。 二月堂は東側を背にしてるので 朝日は
見られないと思うけど 山際から昇って来た日が瓦の屋根を刻々と照らしてゆくだろう。
大仏殿の紫尾もますます金色に輝いてくれるに違いない。
問題があるとすれば 見回りの警備の人に怪しまれないかということ。
時々 歩き回った方がいいだろうか。

そうなのだ。奈良へ泊まるというハードルを越えさえすれば、そこからはそれぞれの奈良の時を紡いで行ける。
友人たちにも せっせと伝えている。
「奈良に来たら 泊まってね!」
ただし、我が家には空いてる部屋が無いので 自前でお願いしている。
去年は 3人来てくれた。今年はどうなるだろうか。
おみくじでは 「待ち人 音信なく来る」とのことなので、突然の来訪を楽しみに待つことにしよう。