2014年2月12日水曜日

奈良の旅人エッセイ-12-

奈良旅を「帰省」と呼び始めてどのくらいだろう?
奈良から現実の生活に戻って1か月もすると、奈良に飛んで(実際には新幹線)行きたくてたまらなくなる禁断症状がでるようになってどのくらいだろう?
今や奈良への帰省は生活の一部、現実の世界でバランスをとるためになくてはならないものになっている。奈良関連の書籍を買いあさり、奈良に関するテレビ番組を毎週検索、ブログなどのチェックは毎日の癒しの時間。そうやって現実の生活をなんとか凌いでいると言ってもいい。
日々 耐え忍んで奈良に到着し、奈良の空を見上げた時、心から開放された気持ちになる。東大寺の講堂跡から大仏殿を見上げたとき、若草山から奈良盆地を見渡したとき、平城宮跡に立ったとき、甘樫の丘から明日香の里、藤原京を眺めたときどうしようもないくらいに心が揺さぶられるのは何故だろう?
この感覚は、間違いなく前世はあの時代に生きていたと思わざるを得ない。
日本という国の礎ができようとしたあの時代、遷都を繰り返し混沌としていたあの時代に遷都の度に借り出された人夫として…?。
1年半前 勤続○周年のご褒美休暇をとることになったとき、周囲に「仕事探してくる」と言い残し奈良に向かった。いつもはなかなか足を伸ばせない地域にようやくたどり着いたとき、私が知っている奈良とはまた違う奈良がそこにはあった。ご褒美休暇を終えるとき「まだ住む場所が決められない」ことに気づいた。奈良でなくてもいいのでは?とも言われてしまいそうだが、間違いなく奈良なのです。
あの時代から守り伝えられてきたお寺、仏像、儀式その全てに感謝。そして守り伝えてきてくれた人々、次の時代に伝えようとしてくれている人々全てに感謝。
いつか自分もその中の一人として何かを担える日がくるだろうか?奈良にお返しできる日がくるだろうか?その方法を探すことが帰省の目的なのかもしれない。その日が来るまでもうしばらく「帰省」を続けよう。

福岡県在住 K.Y.様 女性